「大好きな子供」の成長を見守れるから。
児童指導員・元芸人(ピスタチオ)
小澤 慎一朗
大好きな子どもと真正面から向き合う。元お笑い芸人が歩む、新たな道
キャリア
小澤 慎一朗
高校卒業後、吉本興業の養成所へ ↓ 2010年4月 お笑いコンビ・ピスタチオ結成 ↓ 2021年 お笑い芸人の傍ら、放課後等デイサービスで仕事を開始 ↓ 2022年5月 お笑いコンビ・ピスタチオ解散。放課後等デイサービスで働きながら、吉本興業にタレントとして所属し、児童福祉などについて発信を行う ↓ 2024年7月 児童指導員の資格取得
1お笑い芸人と放課後等デイサービスの職員。二足の草鞋を履いたワケ
もともとお笑い芸人を目指したのは中学生のとき、お笑い好きの同級生に「一緒に芸人にならないか」と誘われたことがきっかけです。高校卒業後、芸人になるため、吉本興業の養成所に入所。芸人としての必要な知識やエンターテインメント業界の基礎について学んだ後、お笑いコンビ・ピスタチオを結成し、活動していました。
芸人からのキャリアチェンジを考えるようになったのは、2021年ごろ。ありがたいことに、自分たちのお笑いスタイルが世間でも知られ、多くのテレビにも出演していました。しかし、コロナをきっかけに仕事量が減少。同時にプライベートでは子どもの誕生という大きな変化を迎えていました。
私の周りには、私より本当に面白いと思う芸人がたくさんいましたし、元相方には申し訳なかったけれど、この先も芸人として第一線を走り、テレビや舞台に立ち続ける未来が徐々に見えなくなったんです。
次の仕事について悩んでいたときに思い浮かんだのは「子どもが好きで子どもと関わりたい」という気持ちでした。そんな思いを抱えながら偶然にも目に留まった、放課後等デイサービスでの保育士募集のSNS投稿。仲の良い元芸人の同期が働く放デイで、「子どもと関わりたい」と思っていたことから、迷うことなく問い合わせをしました。
実は、連絡をしてから、そこが障がいのある子どもが通う施設だと知ったくらい。その後、実際に仕事体験をし素直に感じたのは、「障がいがあろうとも関係ないし、子どもと関わっていきたい」ということでした。まずはそこで、芸人を続けながら、アルバイトとして働くことになりました。
2芸人だったからこそ見えた新たな道。児童福祉や子育てについて発信していきたい
コンビ結成から10年以上。長年続けてきた芸人という仕事を辞める選択をするのは、やはり精神的にもつらい部分がありました。しかし、妻や両親に「これからは芸人の仕事との両立ではなく、児童福祉の仕事をしていきたい」と正直な気持ちを伝えたところ「とても良いことだと思う」と応援してくれたんです。
また、テレビやインターネットでピスタチオ解散のニュースが流れ、コンビとして最後の劇場でのネタ披露になった日、野生爆弾のくっきー!さんや藤井隆さん、NON STYLEの石田明さんなど、芸人仲間には「この先どうするのか」と心配されたのですが、児童福祉の仕事をしていることを伝えると「素晴らしいことだと思うし、もし自分たちに何かできることがあれば手伝うから連絡をしてほしい」と言ってくれて、とてもポジティブな反応でした。
さらにありがたかったのは、今でもタレントとして吉本興業に所属していること。最初は吉本興業を辞めて芸能界を引退し、完全に就職しようと思っていました。しかし会社からは、「芸人は続けなくていい。児童福祉の現場で働く一人として、そのリアルを伝える影響力がある。だからこそ会社に残って、ときにはタレントとしてイベントやテレビに出演し、児童福祉について小澤さん自身の考えを発信してみてはどうか」と声をかけてもらったんです。
芸人ではない自分が吉本興業に所属するという選択はないものだと思っていたのですが、その一言で新たな道が見えた気がしました。そして、冷静さを失っていた当時の自分を引き留めてくれたことに感謝しています。
改めて今思うのは、児童福祉だけでなく子育て方法など、子どもに関すること全般を広めていくような活動もしていきたいということ。放課後等デイサービスの現場で働く自分と子どものことを発信していく自分。児童福祉の現場を知る人間が、発信できる機会をもらえるのは、これまでの経験があるからこそだと思います。
3「なぜ」をきちんと伝えることが、子どもの成長につながる
私は現在、障がいのある子どもの日常生活における支援や自立して活動するために必要な技術の習得、集団生活に慣れてもらうための支援などを行っています。
子どもが好きで、子どもと関わりたいと思っていましたが、「障がいのある子どもたちとどんなふうに接するのが正解なのか分からない」というのが働き始めたころの本音。自分の気持ちを何とか職員に伝えようと、落ち着きのない子もたくさんいました。言い方は悪いかもしれませんが、子どもたちと密に関わる中で感じたのは「こういう子って自分が子どものころにも周りにたくさんいたし、見てきた」ということだったんです。騒いだり、喧嘩したり、近くにある物を投げてしまったり。誰もが子どものころ、経験したことではないでしょうか。障がいがあろうとなかろうと、私にとって子どもは子どもであることに変わりはありません。そう思うようになってからは、子どもと接する上で悩みもなくなりました。
この仕事を続ける中で印象的だったエピソードがあります。送迎中にシートベルトを外してしまった子どもがいたとき、命の危険に関わることなのでその場ですぐに、いけないことだと叱りました。そのときは泣いてしまったのですが、次の送迎時に私のところへ駆け寄ってきて「昨日はシートベルトを外してしまってごめんなさい」と謝ってきました。
一人ひとりと真正面から向き合い、なぜその行為がいけないことなのか、その理由をきちんと説明することで子どもにもその意味が伝わりますし、その子の成長につながります。これは児童福祉の仕事だけでなく、子育て全般にも言えること。日々、自分の子育てにも生かしています。
4すべての垣根を超えて。目の前のことに全力で向き合ってほしい
児童福祉という仕事に正解や不正解はないと思います。いまだに「これでよかったのだろうか」と思うことがたくさんあります。そのような中でも意識しているのは、「子どもの目を見て話す」ということ。真正面から向き合い、きちんと理由を伝えれば理解してくれる子が多いです。
それでも切り替えが難しい子どもには怒るのが一番良い方法だと、この仕事を始めたころは思っていたのですが、納得していないままでは立ち直るにももっと時間がかかることに気付きました。そこで、ある程度放置して、自ら考えて立ち直ってもらうことも、子どもにとっては必要で大切な時間なのだと学びました。一人ひとりに真摯に向き合うことで、その子の思いや今抱えている感情が見えてくる瞬間が必ずあります。大変な仕事ではありますが、子どもの思いが私にも伝わったとき、とてもうれしくやりがいを感じられますね。
また、児童福祉の仕事をしながら、家族みんなで楽しめてリラックスできる場を作りたいと、パラリンピックの正式種目でもある、ボッチャというスポーツイベントを月に一度開催しています。障がいのあるなしや年齢、性別なども関係ない。すべての垣根を超えてできるスポーツというのが魅力的なところ。まだまだ障がいのある子どもの参加が少ないのですが、こうしたイベントを通じて、障がいに対する壁も取り払っていきたいと思っています。そして、子どもたちには「自分の好きなことに全力で向き合うことは恥ずかしくない、素晴らしいことなんだよ」というのを伝えていけたらと思っています。