与えるよりも「もらうもの」の方が多い仕事だから。

SOMPOケア株式会社 介護福祉士

中澤 真希

何度も反対された介護の道。早稲田卒の私がそれでも進んだのは

キャリア

中澤 真希

早稲田大学人間科学部健康福祉科学科を卒業 ↓ 新卒で介護会社勤務 ↓ 新卒3年目、本社採用課へ異動、介護福祉士取得 ↓ 新卒6年目、サービス付き高齢者向け住宅にてサービス提供責任者として勤務 認知症ケア専門士取得 

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大学の進路選択で、初めて「介護職」に反対された

介護職になることが夢になったのは、中学生のときでした。幼い頃から共働きの両親に代わり、ひいおばあちゃんやおばあちゃん、おじいちゃんの友人たちが幼い私の面倒をみてくれていて、小学生ながら「いつかは、私がみんなの役に立ちたい」と思ったことを覚えています。夢のきっかけは、中学校の職業体験でのこと。友達がケーキ屋や花屋を選ぶ中、私は一人だけデイサービスを選びました。
 
初めて仕事として介護に触れ、利用者から「あなたが介護職になってくれたら、きっとこの世界が良くなる」と言われたんです。ちょっと大袈裟だよと思ったけれど、そのときに何か資格を取ればもっと多くの人の役に立てるかもと思い、「将来は介護の仕事をしよう」と決意しました。
 
「介護職になれるならどんな進路でもいい」と思っていた大学の進路選択。「介護の仕事がしたい」と言った私に、先生と両親は反対しました。それもそのはず、高校は進学校だったので専門学校への進学や高卒で就職することに抵抗感があったのだと思います。結果的に、合格した中で周りがホッとしてくれた早稲田大学の福祉学科へ進学しました。
 

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「長生きしないとね」、応援し続けてくれた祖父母の存在

いざ就職を決める大学4年生のとき、私は再び両親の大反対にあいました。保育の仕事をしている母は「子ども相手でも疲れるから、年配の方はもっと大変だ」という印象を介護に持っていました。友達に就職の相談をしてみても「介護職になるの偉いね」と言われ、大変な職業はたくさんあるのにどうして介護職だけが「偉い」と言われるのだろうかと、モヤモヤしてしまう。「福祉」と言うと何も言われないのに、どうしてだろう。「偉い」からなるわけじゃない、もしかして私の夢って間違っているのかなと迷う日々。正直進路を考え直そうと思ったことは、何回もあります。
 
それでも介護の道に進んだのは、「介護職になりたい」と決めた中学生のときから背中を押し続けてくれたおじいちゃん、おばあちゃんの存在がありました。「まきが介護職になるなら、元気に長生きしないとね」の言葉が、私を支えてくれました。いよいよ進路を決めなければならないタイミングで介護職をしている先輩のもとを訪ね、楽しそうに働いている姿を見て改めて「やっぱり私は介護職になりたい」と、就職を決めました。
 

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“してあげる”ことよりも、“してもらう”ことが多い

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入社後は有料老人ホームに配属され、利用者の身体介助を中心に仕事を覚えていきました。当時の私はとにかく張り切っていて、初めて現場に入ったときから「自分が笑顔で働いて、入居者のことを笑顔にするんだ!」と鼻息も荒かった(笑)。ただ、仕事を続けていて思うのは、もちろん自分の心意気は大切だけれど、介護の仕事は利用者からもらうもののほうが多いということ。一人で悩んでいると「元気ないね、どうしたの?下向いてたら幸せ逃げちゃうよ」と声をかけてもらったり、昔話を一緒にして笑ったり、私が経験したことのない話を聞いて勉強になったり。人生の大先輩たちだからこそ、話と言葉がすとんと胸に落ちてくる。それが介護の一番の魅力で、私にとってのやりがいです。
 
3年目のときに「新卒採用をやってみない?」と声をかけてもらい、より多くの人に介護職の魅力を伝えたいと思い新卒の採用課へ異動。採用担当の仕事もやりがいはあったものの、やっぱり利用者の顔が見られる現場の仕事が好きで、自ら希望し現場に戻りました。今はサービス付き高齢者向け住宅に異動し、自立度の高い利用者の生活サポート、買い物同行や各入居者の部屋の掃除が主な仕事です。そのうえでサービス提供責任者を務めており、一緒に働くスタッフの勤務調整やマネジメント、看護師・医師・ケアマネジャーと連携し、施設とご家族を繋ぐ役割も担っています。利用者の笑顔はもちろんのこと、一緒に働くスタッフ、ご家族、地域も笑顔にしたい!とどんどん視野が広がり、介護や高齢者施設がプラスの印象になってほしいとの思いが強くあります。
 

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自信を持って言える「私にとって介護職は天職です」

反対されたにも関わらず、介護の仕事をこれほど「やりたい」と思えたのは、反骨精神が私を強くしてくれたからです。反対されればされるほど、自分なりの「でも」や「だけど」を考え、そのうち「やっぱり私、こうしたいんじゃん」と芯の部分が強くなっていきました。「無理だ」と言われれば「無理じゃない」と言いたいし、「できない」と言われれば「できる」と言いたくなる。実家から職場まで通っていた頃は、帰宅するたびに「今日はこんな楽しいことがあってね!」「利用者さんとこういう話をしてね!」と、仕事が楽しいという話ばかりしていました。そんなことを続けたある日、両親が「本当に介護の仕事が楽しいんだね」「まきにぴったりの仕事だね」と言ってくれたんです。

働きぶりから、お休みやお給料が整っていることも伝わったようで、その言葉を聞いたときは胸がいっぱいになりました。介護の道を目指し続けて、選んで、よかった。

これからの目標は大きく2つあり、1つ目は、より良い施設作りに貢献できるよう副ホーム長へのキャリアアップを目指すこと。2つ目は、結婚というライフステージの変化を迎え、仕事と生活のバランスを取り、しっかりキャリアを築くこと。もちろん大変なこともありますが、一緒に働くスタッフ、そして利用者からも知恵をもらえるのが、この仕事。私にとって「介護職は天職」、胸を張ってそう言える今を過ごしています。

「チーム」で取りくめる環境なので。

社会福祉法人原町成年寮 共同生活援助事業 サザンクロスかつしか 主任

星 三記生

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