想い通う介護賞
- 受け取った感謝の想いを、
ケアマネとして次の支援へ -
運動神経抜群、常に誰かの世話を焼き、大きな声でよく笑うAさんは80代女性。家族が同居を願っても「自由気ままな一人暮らしがいい」ときかず、一人暮らしを謳歌していました。
ひとをもてなす達人のAさんは、断っても断っても、お菓子を机いっぱいに準備し、家中を飾り付けて出迎えてくれる人気者。席につくと、まずは決まって波乱万丈の人生を語り、「本題」に入るのは1時間以上経ってから、という手強い方でした。
ある日、階段で友人を助けようと身を呈し、頭から転落。身体状態はみるみる悪化してしまいました。繰り返し話し合った家族の結論は施設入所。「支援者からは本人に告げない」と決まり、最後の訪問となりました。
机の上には菓子が並ぶ。いつものようにお茶を入れ、楽しそうに話すAさん。故郷の話から始まり、結婚、別れ、こどもの成長。不自由になったおしゃべりで夢中に話し、気づくと夕方になっていました。
「そろそろ」と席を立つと、Aさんは突然泣きだしました。初めて見た泣き顔。真っ赤な目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ、「悲しすぎるからさよならと言わないで」と泣くAさん。私は驚くこころを隠すように手をとりました。
そんな私をじっと見ていたAさんが、今度は私の手を取り、大切そうにさすりながら涙をぬぐって言いました。「大丈夫、どこかできっとまた逢える。だから今日は、一緒に『またね』と言って別れてね。あなたは架け橋、誰かのためにこれからも頑張って、忘れない。」
ドアを閉め階段を降り、自転車を忘れた私は、真っ赤な夕日を背にトボトボと歩きました。今でも、ふと立ち止まり見上げてしまう窓。目をつむると、いつも私が見えなくなるまで大きく両手を振って下さったベランダに、Aさんの姿が見えます。
声にならない声、思いをつなぐあたたかな手のぬくもり。支えるはずの私を支えてくれているのは、あの笑顔。Aさんに託された「架け橋」になるために。私は今日も自転車を走らせます。次に出会う誰かのために。
寄り添いの歩幅賞
- 祖母の小さな変化を支えた
やさしい声かけ -
祖母がデイサービスに通い始めた頃、本人はあまり乗り気ではありませんでした。「知らない人ばかりのところに行っても疲れるだけ」と言い、朝になると支度の手が止まることもありました。
家族としては、少しでも外に出て人と話す時間ができればと思っていましたが、無理をさせているのではないかと迷いもありました。
ある日、迎えに来た職員さんが玄関で祖母の靴を見て、「この靴、歩きやすそうですね。今日はこれでゆっくり行きましょうか」と声をかけてくれました。急かすのではなく、祖母のペースに合わせて待ってくれる姿が印象に残りました。
帰ってきた祖母は、「今日はお茶がおいしかった」と小さく笑いました。大きな変化ではありません。
でも、次の利用日をカレンダーで確認する祖母を見て、福祉は生活を助けるだけでなく、その人の気持ちが少し前を向く時間を支えてくれるものなのだと感じました。
ともに子育て賞
- 頼っていいと思えた
保育士の言葉 -
「“一緒に子育てしましょう”の言葉に救われて」
私は三人の子どもを育てながら働いています。毎日を回すだけで精一杯。こどもの年齢もそれぞれ離れているため、一人ひとりにじっくり向き合って遊ぶ時間を取るのが難しく、公園でも全体に目を配ることで精一杯でした。
本当は、ボルダリングや高さのある滑り台、水遊びなど、しっかり付き添いが必要な遊びもたくさん経験させてあげたい。でも、準備や後片付け、安全面を考えると、なかなかさせてあげられず、申し訳なさや焦りを感じていました。
そんな時、保育園の保護者会で先生が、「子どもに経験させたいと思っていても、なかなかさせてあげられていないことがあれば、ぜひ保育士に教えてください。泥んこ遊びや絵の具、工作など、家では大変なことは保育園でサポートします。保育士と一緒に子育てをしていきましょう」と話してくださいました。
さらに、「親御さんたちが一生懸命子育てしていることを、私たちはちゃんと知っています」と言ってくださり、その言葉に思わず涙が出そうになりました。
自分だけで抱え込まなくていい。困った時は頼っていい。そう思えたことが、本当にうれしく、心強かったです。
伴走の保育賞
- 子育てを伴走してくれる
保育士に感謝 -
私達は共働きの為、娘は0歳から保育園に通い始めました。産まれた当初、初めての子育てに不安も多い中、第一希望の保育園に決まった時は、家族で喜んだことを今でも覚えています。
入園して初めの慣らし保育では、不安で泣いていた娘も、保育園の優しい先生達、そして出会ったお友達のお陰で、直ぐに安心して通い始めました。
私達夫婦にとって、子育ては試行錯誤の日々でした。でも悩んだ時は、いつも優しく先生方が育児の相談にのってくれました。
「一人でできるようになりました!」「こうしてみましょう!」と、子育てを伴走してくれる支援者がいる事が心強かったです。
ある日の連絡ノートに、『この時期に「何かをしてあげたい」と言う優しさが持てているのは〇〇ちゃんの持っている素質だと思います。きっと大きくなっても思いやり満点の優しい〇〇ちゃんに育ちますよ。』と言葉をいただき、温かい気持ちになって、嬉しくて家族アルバムに共有しました。
毎日の暮らしの中、保育園を通じて繋がりができたご家族、近所で「こんにちは!」と挨拶できる人が少しずつ増えていくことも嬉しかったです。娘の成長と共に、地域で温かい輪が広がりました。
子供が小さい時の今しかない大切な時間を共に寄り添ってくれる人達に、心から感謝です。4歳になった娘は、今も毎日楽しく保育園に通っています。
福祉のバトン賞
- 見守り続けてもらった私は
今度は支える側へ -
21歳でうつ病を患った私は、社会との繋がりも生きる気力も失い、自分の未来に期待することができなくなっていました。出口の見えない孤独な暗闇の中で、世界から取り残されたような日々でした。
そんな私を救い上げてくれたのは、生活訓練の支援者の皆さんでした。はじめはなかなか通うことができませんでしたが、皆さんは急かすことなく、長い目で見守り続けてくれました。
私が「人が多くて怖い」と言えば、「じゃあ夕方に来てみる?」と提案してくれるなど、どんな時でも個別に時間を作ってくれました。
それでも欠席が続いたときには、「待ってるよ!」とメッセージ動画を送ってくれて、頑張って通所したら、いつも「よく来たね」「会えて嬉しいよ」と笑顔で迎えてくれました。
福祉に頼ることへの負い目は、その笑顔に触れるうちに少しずつ溶け、差し伸べてもらった手を素直に取れるようになりました。
たくさんの優しさに助けられ、気がつけば、私は再び自分の人生を歩み始めていました。今、その事業所でピアサポーターとして勤務しています。私を支えてくれた皆さんは、今は心強い上司や先輩です。
ずっとそうしてもらってきたように、今度は私が誰かに手を差し伸べられる、誰かの苦しみに寄り添える支援者になりたいです。




